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あくしぇるかの一日 inウズベキスタン

青年海外協力隊として首都タシケントで活動していた助産師のブログ

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大清池 その2

前回の続きの話。

その後、玄奘さんの足跡をいろいろ調べてみると、
Bedel Passを通って、キルギス入りしたようで、
その先、バースクーン(Barskoon)でイシククルに出会い、
イシククルの南側を沿ってバルクチ(Balykchy)へ、
さらに、トクマク(Tokmok)を通って、首都ビシケク(Bishkek)へ、
というルートだったらしい。

ということは、カラコル(Karakol)の辺りは通ってないのか。
間違った…

けど、せっかくだから、まずはカラコル市内。
ロシア正教の聖三位一体教会(1895年に完成)。
karakol.jpg

ドゥンガン・モスク(1910年建築)
中国系イスラム教徒(ドゥンガン人)が建てた木造のモスク。
Dungan.jpg
教会も、モスクも、どっちもカラフルで、鮮やか。

ちょっと足を延ばして、カラコル周辺。

ジェティ・オグス(Jeti-Oguz)
キルギス語で、7頭(ジェティ)の牛(オグス)。
Jeti-Oghuz.jpg
赤いゴツゴツした岩が7頭の牛の頭に見えるから、だそうな。

コク・ジャイク(Kok Jayik)
ジェティ・オグスから山の中の方へ5km。
Kok Jayik2

馬に乗せてもらいまして、川を越えてちょっとお散歩。
後ろからお兄さん(きっと、いや絶対年下)が手綱操ってます。
uma.jpg

ここで、キルギス人のタクシー運転手さん、
「ちょっと馬借りるわ~」と、馬に颯爽と乗って行かれました。
Kok Jayik
そのさりげなさがかっこいい!

カラコルは標高3000~4000mトレッキングの出発地点にもなっています。
トレッキングについては、こっち(2012/7/27)参照。

コースピークのアラコル峠(Alakol Pass)3860mから、
Arakol3.jpg
向かって左側の道っぽいとこをザイル頼りに下りてきて、
続いて雪渓を歩いてきたのを振り返ってみたところ。

その先、アルティン・アラシャン(Altyn Arashan)まで景色はいいのに、
余裕なし。これを楽しめなかったのは残念すぎる。
Arakol.jpg

次回も、まだキルギス。

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category: 玄奘の足跡

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大清池 その1

帰国して丸2年が経ちました。
先日、在ウズ中に撮りためた写真をDVDディスクに整理してみたら、32枚になりました。
4.7GB×32枚=約150GB・・・どおりで重かったのね、ノートPC1台がほとんど写真

このまま闇に葬るのはもったいない気がしてきたので、
今更感は多少ありますが、少しずつ吐きだしていくことにします。
ということで、久々の「玄奘の足跡」ネタ。

協力隊員(JOCV)は、任期中に任国外に旅行に出かけることができます。
ただし、任国によって旅行ができる国は決まっています。
私が隊員中に行ける国は(多分)今より限られていたのですが、
お隣の国キルギスには行くことができました。
ということで、在ウズ中に2回、キルギスに向かいました。

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山を行くこと四百余里で大清池についた。
周囲は千余里あり、東西は長く、南北は狭い。
四面は山に囲まれ、多くの河川の水流がここに集まっている。
色は青黒味を帯び、味は塩辛くもあり苦くもある。
大きな波がはてしなく、荒い波は沫だっている。(以下略)

(水谷真成訳 大唐西域記 平凡社から引用)
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ここで言われる「大清池」とは、イシク・クルのこと。
キルギス語で、イシク(温かい)・クル(湖)。
冬でも凍らないので、いしくくる?
私が行ったのは7月で水温20度位だったけど、
たくさんの人が泳ぐ、というか漂ってました。

Issyk Kol

キルギスの協力隊員から聞いた話、
キルギスの一般的なご家庭では、お風呂がないところも多く、
時期によってはイシククルがお風呂になったりするそうです。

さて、湖の周りは一周まわれますし、ぐるっと集落がありますが、
北側の方が開けてて、道路もいい。
そんな北側から見たイシククル越しの天山山脈。

tenzan.jpg


その昔、玄奘さん御一行は、
タクラマカン砂漠から天山山脈を越えてキルギスに入ってきていて、
それはPrzhevalsk(プルジェバリスク)辺りに出たと考えられているそうです。

…って、今更ながら考えてみたら、Karakol(カラコル)の辺りじゃないですか。
帰国して丸2年経って気づいた事実。あそこも足跡だったのか!?

ということで、次回はカラコル周辺のお話。

category: 玄奘の足跡

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サマルカンド(颯秣建国)

久しぶりの大唐西域記ネタ

玄奘時代は、サマルカンドは颯秣建国(康国)と呼ばれていました。
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颯秣建国は周囲が千六、七百里かり、東西が長く、南北が狭い。
国の大都城は周囲二十余里である。
非常に堅固で住民は多く、諸国の貴重な産物がこの国にたくさんある。
土地肥沃で農業が十分行きとどき、木立ちはこんもりとし花・果はよくしげっている。
良馬を多く産する。機織の技は特に諸国より優れている。
気候は温和で、風俗は激烈である。すべての胡国はここを中心としている。
進退礼儀は遠近の諸国ともに、ここにその手本をとるのである。
ここの王は豪勇の人で、隣国はその命を承けている。
兵馬は強盛で、多くは赭羯(チャカル)である。
赭羯の人は、その性質が勇烈であり、死を視ることを帰するがごとく、
戦って前に[打ち向かう]敵がないほどである。
これより東すると弭秣賀国(マーイムンダ)に至る。
(水谷真成訳 大唐西域記 平凡社から引用)
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サマルカンドは、この当時から力のある場所だったようですね。

1220年のチンギス・ハーン率いるモンゴル軍の攻撃で、
町の人口の4分の3以上が殺されたそうです。
それをよみがえらせたのがアミール・ティムール。
今残っている建物からは、
ティムール帝国の首都だったサマルカンドが見えてきます。

サマルカンドのうたい文句に「青の都」がありますが、
どのメドレセや廟も、タイルで装飾がされていて、
2001年に世界遺産に登録されてます。


多分、一番有名なレギスタン広場。
registon.jpg

3つのメドレセ(神学校)があり、中は小部屋がいっぱい。
今は、小部屋全てが土産物屋さんになっていますが、
質のいいお土産物が、適正価格で買えると思います。

ちなみに、向かって右側のメドレセがシェルドン・メドレセ。
偶像崇拝を禁じているイスラム教において、
あり得ないモチーフが描かれています。
syerdor2.jpg


グリ・アミール廟はティムールさんのお墓。
guri-amir.jpg

世界史を習ったら、一度は聞いたことがあるティムールさんは
こんなところに眠ってられます。
timur-haka.jpg

ビビハニム・モスクは何かと謂れがあるモスク。
bibixonim-mosk.jpg

大きすぎて作った直後から壊れ始めたとか、
建築に絡んで、ティムールの妃と建築家の間でいろいろあって(詳細省略)
怒ったティムールが妃と建築家を処罰したとか、言われています。

ビビハニムの入口の門。
bibixanim-iriguti.jpg
スケール感でかすぎで、写真では伝わりにくいな~。

私が一番好きなのは、シャーヒズィンダ廟。
syohizinda2.jpg

ウズの方々も、信仰の場所として訪れるお墓。
入口の門を入ったすぐのところに天国への階段がありまして、
行きと帰りの段数が同じだと天国へいけるそうです。
syohizinda.jpg


最後に、アフラシアブの丘。
ここはチンギス・ハーンに破壊されるまで、何世紀もの間、町が存在していた場所。
afurasyabu.jpg
唯一、玄奘時代の名残が感じられる場所かもしれません。何にもないけど。

ウズにおける観光の中心地サマルカンド。
初ウズ旅行の場合は、やはり外せない都市ですね。
syerdor.jpg

category: 玄奘の足跡

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フェルガナ(忄市捍国)

実は、この国に来ることが決まって、ぜひやりたいと思ったことがあります。
それは、はるか昔600年代に玄奘三蔵が通った足跡を追うこと。
玄奘三蔵が書いた大唐西域記に、思い入れがあるのです。
なぜ玄奘三蔵なのか、なぜ大唐西域記なのかは、説明すると長くなるので、省略

ただ、その時代のものはほとんど残っていません。
なぜなら、その後チンギスハーンやアミール・チムールによって戦場になったから。
でも、その土地は残ってるし、自然は変わらずあるはず。

そんなわけで、折に触れて玄奘三蔵の訪ねた街を紹介したいと思います。

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先日、フェルガナ(Farg'ona)に行ってきました。

ここフェルガナは○(忄市:りっしんべんに市)捍国と大唐西域記で書かれています。

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○(忄市)捍国は周囲4千里あり、山が四方をめぐっている。
土地は肥沃に、農業は盛んである。花や果物が多く、羊や馬に適している。
気候は風寒く、人の性質は剛勇である。
言語は諸国と異なり、顔かたちは醜く劣っている。
ここ数十年来、大君主はなく、力のある豪族が競い合っていて、互いに服従しようとしない。
川に依り険に拠り、土地を画して首都を別にしている。
これより西へ行くこと千余里で窣堵利瑟那(ストリシナ)国に至る。
(水谷真成訳 大唐西域記 平凡社から引用)
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乗りたかった飛行機が飛んでなかったので、
片道約300キロ強の道のりを
4時間半~5時間の乗り合いタクシーで行ってきました。

この乗り合いタクシー。
どんな人と一緒になるかと、ドライバーさんの運転によって、
乗り心地が全然違います。
今回は行きも帰りも、特に困ることもなく普通に快適な時間でした。

そして、そのフェルガナは緑の多い穏やかで落ち着いた街!
街に入ったところから、花がきれいに植えられていました。

Fergana.jpg
フェルガナ同期隊員の一番お勧めの場所。
町中の道路の街路樹がすごい存在感。
いつから、ここにあるんだろうと思う巨木ばかりです。

道端で買い求めたソフトクリーム屋さんのお兄さんに、
お金を渡そうとしたら、にこっと笑って、
"Не надо!(いらない)"…って商売でしょうが!!

1日近くの街を回るのにお願いしたタクシーの運ちゃんに、
お昼ごはんおごってもらっちゃった!

人も穏やかな街なんですね~


この街は果物が美味しい街として聞いていて、イチゴの季節は絶品らしい。
バザールでは、驚くほどたくさんのトマトが安く売ってました。
これだけのものをどこで消費するんだろう、と心配になる程の量。
昔と変わらず肥沃な土地で、果物や野菜の産地なんですね。

あまりに落ち着く街なので、
タシケントの喧騒に苦しくなったら、また行きたいです。

category: 玄奘の足跡

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