あくしぇるかの一日 inウズベキスタン
青年海外協力隊として首都タシケントで活動していた助産師のブログ
2015/03/06 Fri. 01:31
大清池 その2
前回の続きの話。
その後、玄奘さんの足跡をいろいろ調べてみると、
Bedel Passを通って、キルギス入りしたようで、
その先、バースクーン(Barskoon)でイシククルに出会い、
イシククルの南側を沿ってバルクチ(Balykchy)へ、
さらに、トクマク(Tokmok)を通って、首都ビシケク(Bishkek)へ、
というルートだったらしい。
ということは、カラコル(Karakol)の辺りは通ってないのか。
間違った…
けど、せっかくだから、まずはカラコル市内。
ロシア正教の聖三位一体教会(1895年に完成)。

ドゥンガン・モスク(1910年建築)
中国系イスラム教徒(ドゥンガン人)が建てた木造のモスク。

教会も、モスクも、どっちもカラフルで、鮮やか。
ちょっと足を延ばして、カラコル周辺。
ジェティ・オグス(Jeti-Oguz)
キルギス語で、7頭(ジェティ)の牛(オグス)。

赤いゴツゴツした岩が7頭の牛の頭に見えるから、だそうな。
コク・ジャイク(Kok Jayik)
ジェティ・オグスから山の中の方へ5km。

馬に乗せてもらいまして、川を越えてちょっとお散歩。
後ろからお兄さん(きっと、いや絶対年下
)が手綱操ってます。

ここで、キルギス人のタクシー運転手さん、
「ちょっと馬借りるわ~」と、馬に颯爽と乗って行かれました。

そのさりげなさがかっこいい!
カラコルは標高3000~4000mトレッキングの出発地点にもなっています。
トレッキングについては、こっち(2012/7/27)参照。
コースピークのアラコル峠(Alakol Pass)3860mから、

向かって左側の道っぽいとこをザイル頼りに下りてきて、
続いて雪渓を歩いてきたのを振り返ってみたところ。
その先、アルティン・アラシャン(Altyn Arashan)まで景色はいいのに、
余裕なし。これを楽しめなかったのは残念すぎる。

次回も、まだキルギス。
その後、玄奘さんの足跡をいろいろ調べてみると、
Bedel Passを通って、キルギス入りしたようで、
その先、バースクーン(Barskoon)でイシククルに出会い、
イシククルの南側を沿ってバルクチ(Balykchy)へ、
さらに、トクマク(Tokmok)を通って、首都ビシケク(Bishkek)へ、
というルートだったらしい。
ということは、カラコル(Karakol)の辺りは通ってないのか。
間違った…

けど、せっかくだから、まずはカラコル市内。
ロシア正教の聖三位一体教会(1895年に完成)。

ドゥンガン・モスク(1910年建築)
中国系イスラム教徒(ドゥンガン人)が建てた木造のモスク。

教会も、モスクも、どっちもカラフルで、鮮やか。
ちょっと足を延ばして、カラコル周辺。
ジェティ・オグス(Jeti-Oguz)
キルギス語で、7頭(ジェティ)の牛(オグス)。

赤いゴツゴツした岩が7頭の牛の頭に見えるから、だそうな。
コク・ジャイク(Kok Jayik)
ジェティ・オグスから山の中の方へ5km。

馬に乗せてもらいまして、川を越えてちょっとお散歩。
後ろからお兄さん(きっと、いや絶対年下


ここで、キルギス人のタクシー運転手さん、
「ちょっと馬借りるわ~」と、馬に颯爽と乗って行かれました。

そのさりげなさがかっこいい!

カラコルは標高3000~4000mトレッキングの出発地点にもなっています。
トレッキングについては、こっち(2012/7/27)参照。
コースピークのアラコル峠(Alakol Pass)3860mから、

向かって左側の道っぽいとこをザイル頼りに下りてきて、
続いて雪渓を歩いてきたのを振り返ってみたところ。
その先、アルティン・アラシャン(Altyn Arashan)まで景色はいいのに、
余裕なし。これを楽しめなかったのは残念すぎる。

次回も、まだキルギス。
2015/02/27 Fri. 01:29
大清池 その1
帰国して丸2年が経ちました。
先日、在ウズ中に撮りためた写真をDVDディスクに整理してみたら、32枚になりました。
4.7GB×32枚=約150GB・・・どおりで重かったのね、ノートPC1台がほとんど写真
このまま闇に葬るのはもったいない気がしてきたので、
今更感は多少ありますが、少しずつ吐きだしていくことにします。
ということで、久々の「玄奘の足跡」ネタ。
協力隊員(JOCV)は、任期中に任国外に旅行に出かけることができます。
ただし、任国によって旅行ができる国は決まっています。
私が隊員中に行ける国は(多分)今より限られていたのですが、
お隣の国キルギスには行くことができました。
ということで、在ウズ中に2回、キルギスに向かいました。
-------------------------------------
山を行くこと四百余里で大清池についた。
周囲は千余里あり、東西は長く、南北は狭い。
四面は山に囲まれ、多くの河川の水流がここに集まっている。
色は青黒味を帯び、味は塩辛くもあり苦くもある。
大きな波がはてしなく、荒い波は沫だっている。(以下略)
(水谷真成訳 大唐西域記 平凡社から引用)
-------------------------------------
ここで言われる「大清池」とは、イシク・クルのこと。
キルギス語で、イシク(温かい)・クル(湖)。
冬でも凍らないので、いしくくる?
私が行ったのは7月で水温20度位だったけど、
たくさんの人が泳ぐ、というか漂ってました。

キルギスの協力隊員から聞いた話、
キルギスの一般的なご家庭では、お風呂がないところも多く、
時期によってはイシククルがお風呂になったりするそうです。
さて、湖の周りは一周まわれますし、ぐるっと集落がありますが、
北側の方が開けてて、道路もいい。
そんな北側から見たイシククル越しの天山山脈。

その昔、玄奘さん御一行は、
タクラマカン砂漠から天山山脈を越えてキルギスに入ってきていて、
それはPrzhevalsk(プルジェバリスク)辺りに出たと考えられているそうです。
…って、今更ながら考えてみたら、Karakol(カラコル)の辺りじゃないですか。
帰国して丸2年経って気づいた事実。あそこも足跡だったのか!?
ということで、次回はカラコル周辺のお話。
先日、在ウズ中に撮りためた写真をDVDディスクに整理してみたら、32枚になりました。
4.7GB×32枚=約150GB・・・どおりで重かったのね、ノートPC1台がほとんど写真

このまま闇に葬るのはもったいない気がしてきたので、
今更感は多少ありますが、少しずつ吐きだしていくことにします。
ということで、久々の「玄奘の足跡」ネタ。
協力隊員(JOCV)は、任期中に任国外に旅行に出かけることができます。
ただし、任国によって旅行ができる国は決まっています。
私が隊員中に行ける国は(多分)今より限られていたのですが、
お隣の国キルギスには行くことができました。
ということで、在ウズ中に2回、キルギスに向かいました。
-------------------------------------
山を行くこと四百余里で大清池についた。
周囲は千余里あり、東西は長く、南北は狭い。
四面は山に囲まれ、多くの河川の水流がここに集まっている。
色は青黒味を帯び、味は塩辛くもあり苦くもある。
大きな波がはてしなく、荒い波は沫だっている。(以下略)
(水谷真成訳 大唐西域記 平凡社から引用)
-------------------------------------
ここで言われる「大清池」とは、イシク・クルのこと。
キルギス語で、イシク(温かい)・クル(湖)。
冬でも凍らないので、いしくくる?
私が行ったのは7月で水温20度位だったけど、
たくさんの人が泳ぐ、というか漂ってました。

キルギスの協力隊員から聞いた話、
キルギスの一般的なご家庭では、お風呂がないところも多く、
時期によってはイシククルがお風呂になったりするそうです。
さて、湖の周りは一周まわれますし、ぐるっと集落がありますが、
北側の方が開けてて、道路もいい。
そんな北側から見たイシククル越しの天山山脈。

その昔、玄奘さん御一行は、
タクラマカン砂漠から天山山脈を越えてキルギスに入ってきていて、
それはPrzhevalsk(プルジェバリスク)辺りに出たと考えられているそうです。
…って、今更ながら考えてみたら、Karakol(カラコル)の辺りじゃないですか。
帰国して丸2年経って気づいた事実。あそこも足跡だったのか!?
ということで、次回はカラコル周辺のお話。
2014/02/08 Sat. 23:43
ウズベキスタンからの便り
この週末は、ひさしぶりに雪がいっぱいですね。
関西は雪が少ないので、ちょっと寂しい感じです。
ここ最近はウズベキスタンも寒く、一日中氷点下みたいで
ウズの隊員のFacebook写真を見てると、とても懐かしい
さて、先週末から岐阜の大垣で、ウズベクイベントをやってます。

これは、大垣在住の元ウズベク隊員が頑張っているイベントで、
先週末は民族楽器ドゥタールの演奏会も行われまして、
私もちょっと演奏しに行ってきました。
岐阜の新聞社の方が取材に来られていましたが、
そこに集まっているウズベク隊員達が関東やら関西から集まっているのを聞いて、
「へ~
」と、なんだか不思議そうでした。
こういう時は協力、協力。
予定がなければ、どこでも行きます。
しかし、久しぶりのドゥタールは、練習要す…

各地の隊員が持ち寄ったウズベクグッズが置いてあったり、
持ち寄ったスザニが壁一面に広げてあったり、
カメラ好きな隊員のとっておきの写真がたくさん並んでいたりします。


活動最後に、病院から頂いたフルセットな花嫁衣装もちゃんと生かすことができました。
相談したわけでもなんでもないけれど、金系、銀系がそろいました。

開催にこぎつけるまでの準備は大変だったと思います。
そして、私は全部の展示の写真を撮ってくるのを忘れました。
ということで、お近くの方は是非足をお運びいただき、
ご自分の眼で、感覚でウズベキスタンを感じてみてください。
2014年2月16日まで
10:00~18:00(最終日は16:00まで)入場無料
土川商店「場所 かさじゅう」
岐阜県揖斐郡池田町
とても趣のある古民家での展示です。
関西は雪が少ないので、ちょっと寂しい感じです。
ここ最近はウズベキスタンも寒く、一日中氷点下みたいで
ウズの隊員のFacebook写真を見てると、とても懐かしい

さて、先週末から岐阜の大垣で、ウズベクイベントをやってます。

これは、大垣在住の元ウズベク隊員が頑張っているイベントで、
先週末は民族楽器ドゥタールの演奏会も行われまして、
私もちょっと演奏しに行ってきました。
岐阜の新聞社の方が取材に来られていましたが、
そこに集まっているウズベク隊員達が関東やら関西から集まっているのを聞いて、
「へ~

こういう時は協力、協力。
予定がなければ、どこでも行きます。
しかし、久しぶりのドゥタールは、練習要す…


各地の隊員が持ち寄ったウズベクグッズが置いてあったり、
持ち寄ったスザニが壁一面に広げてあったり、
カメラ好きな隊員のとっておきの写真がたくさん並んでいたりします。


活動最後に、病院から頂いたフルセットな花嫁衣装もちゃんと生かすことができました。
相談したわけでもなんでもないけれど、金系、銀系がそろいました。

開催にこぎつけるまでの準備は大変だったと思います。
そして、私は全部の展示の写真を撮ってくるのを忘れました。
ということで、お近くの方は是非足をお運びいただき、
ご自分の眼で、感覚でウズベキスタンを感じてみてください。
2014年2月16日まで
10:00~18:00(最終日は16:00まで)入場無料
土川商店「場所 かさじゅう」
岐阜県揖斐郡池田町
とても趣のある古民家での展示です。
2014/01/05 Sun. 01:30
2014年の始まり
あけましておめでとうございます。
いつの間にやら、気がついたら帰国後1年になります。
本当にあっという間に1年経ってしまいましたね。
これまたブログをお留守にしている間にカウンターが11414
代わり映えのないブログを覗いてくださっているみなさま、
ありがとうございます
久々なので、今日は近況報告です。
今はとある大学の看護学部で教員しています。
今更ながら、振り返ってみると
あの2年間の活動は、いろんな面でできなかった感いっぱいです。
一方で、末端現場でジタバタしても、
根本的な解決にはつながらないことも痛感しました。
現場で活躍している助産師や看護師はその国の専門家。
専門教育を受けて、そこにいる。
この「専門教育」の中に入ることができれば、
もう少し、その国の妊産婦さんにとっていいお産に近づけるかもと思うのです。
だから、まずは自分自身が教育経験を積む。
自分自身の度量を上げてから、いつか再チャレンジです。
大学に来て、運よく2回ほどウズベキスタンのことを話す機会を得ました。
これから看護師になろうとしている学生たちになにを伝えるか。
ウズベキスタンのことは紹介しておきたいし、看護の視点も話しておきたい。
いろいろ悩んで、それなりの着地点でお話をしたつもりです。
その中で中途半端に伝わるといけないと思ったので、
話さなかったことが一つあります。
「看護」は、どこに向かっていったらいいんだろうということ。
途上国で、ウズベキスタンで、目指したい看護はどういう看護だろう。
日本の看護は、部分輸入を受けながらも日本で作り上げたもの。
日本の歴史を振り返ってみると、その中にウズベキスタンの今もある気はします。
でも、その先。
日本が進んできたのと同じような道を歩むことが、
ウズベキスタンにとっての進むべき道なんだろうか。
できなかった感いっぱいの関わりの中で、そんなことに考え着きました。
途上国を支援するということは、本当に難しい。
支援している側のやっているものがその国にフィットするかはわからないから。
そこをしっかり見極めて進めていかないと、
支援しているのか、発展を邪魔をしにいっているのか分からなくなる気がする。
そして自分の中での確固たるものを持ってないと揺らいでしまう。
だから今しばらくは、教育の世界でお勉強です。
今年は、昨年よりも余裕のある時間を過ごせるつもりなので、
こっそりぼちぼち更新します。
本年もよろしくお願い致します。

キルギスのソンクル湖にて
いつの間にやら、気がついたら帰国後1年になります。
本当にあっという間に1年経ってしまいましたね。
これまたブログをお留守にしている間にカウンターが11414

代わり映えのないブログを覗いてくださっているみなさま、
ありがとうございます

久々なので、今日は近況報告です。
今はとある大学の看護学部で教員しています。
今更ながら、振り返ってみると
あの2年間の活動は、いろんな面でできなかった感いっぱいです。
一方で、末端現場でジタバタしても、
根本的な解決にはつながらないことも痛感しました。
現場で活躍している助産師や看護師はその国の専門家。
専門教育を受けて、そこにいる。
この「専門教育」の中に入ることができれば、
もう少し、その国の妊産婦さんにとっていいお産に近づけるかもと思うのです。
だから、まずは自分自身が教育経験を積む。
自分自身の度量を上げてから、いつか再チャレンジです。
大学に来て、運よく2回ほどウズベキスタンのことを話す機会を得ました。
これから看護師になろうとしている学生たちになにを伝えるか。
ウズベキスタンのことは紹介しておきたいし、看護の視点も話しておきたい。
いろいろ悩んで、それなりの着地点でお話をしたつもりです。
その中で中途半端に伝わるといけないと思ったので、
話さなかったことが一つあります。
「看護」は、どこに向かっていったらいいんだろうということ。
途上国で、ウズベキスタンで、目指したい看護はどういう看護だろう。
日本の看護は、部分輸入を受けながらも日本で作り上げたもの。
日本の歴史を振り返ってみると、その中にウズベキスタンの今もある気はします。
でも、その先。
日本が進んできたのと同じような道を歩むことが、
ウズベキスタンにとっての進むべき道なんだろうか。
できなかった感いっぱいの関わりの中で、そんなことに考え着きました。
途上国を支援するということは、本当に難しい。
支援している側のやっているものがその国にフィットするかはわからないから。
そこをしっかり見極めて進めていかないと、
支援しているのか、発展を邪魔をしにいっているのか分からなくなる気がする。
そして自分の中での確固たるものを持ってないと揺らいでしまう。
だから今しばらくは、教育の世界でお勉強です。
今年は、昨年よりも余裕のある時間を過ごせるつもりなので、
こっそりぼちぼち更新します。
本年もよろしくお願い致します。

キルギスのソンクル湖にて
2013/05/19 Sun. 23:23
宮古島とウズ
ご無沙汰しています。
長いことお留守にしている間に、カウンター10000達成!!
覗きに来ても、何の進展もないブログに来ていただいて、
本当にありがとうございました。
始めた当初は、こんなところまでこれるとは思わなかった。
遊びに来て下さった皆さまのお陰です。
この4月から働き始めました。
2年間、日本社会から離れていたので、
どうなることやらと思っていましたが、
意外に順応するものですね。
今や、1月までの~んびり暮らしていたとは思えないくらい、
ガツガツに働いています。
初めてのことばかりで、先が見えないことと、
それを楽しんじゃってる感じは、JOCV時代と何ら変わりがないやね
そういや、明らかに独り言が増えました。
よく「Nima? Nima?(何?何?)」とか、「Почму?(何で?)」とか呟いてます。
きっとご近所のデスクな方々にはご迷惑なことでしょう…すみません
さて、帰国後。
仕事するまでが時間を自由に使えるチャンス!ということで、
時間をめいっぱい使って、いろんなとこに行ってきました。
今日は2月に行ってきた宮古島の話。
なんかね、宮古島とウズベキスタンはよく似てる。
その1:時間の流れがよく似てる。
先の予定が立たないところ、
当日の勢いで事が進むのが普通なところ、そっくり。
その2:よく飲むところがよく似てる。
宮古島は泡盛、ウズはウォッカ。
知らないもの同士でも、一緒に楽しく飲めちゃう。
その3:よく踊るところがよく似てる。
宮古島はカチャーシー、ウズはウズダンス。
音楽がかかれば、自然に踊りだしちゃう感じと、
手の使い方がほんとによく似てる。
その4:宮古島の池間の人とウズ人はよく似てる。
留学中のウズ人が宮古島の人に間違えられておりました。
遠く離れたふたつの土地だけど、なんだか似てる

明らかに違うのは、この海ですね。
長いことお留守にしている間に、カウンター10000達成!!
覗きに来ても、何の進展もないブログに来ていただいて、
本当にありがとうございました。
始めた当初は、こんなところまでこれるとは思わなかった。
遊びに来て下さった皆さまのお陰です。
この4月から働き始めました。
2年間、日本社会から離れていたので、
どうなることやらと思っていましたが、
意外に順応するものですね。
今や、1月までの~んびり暮らしていたとは思えないくらい、
ガツガツに働いています。
初めてのことばかりで、先が見えないことと、
それを楽しんじゃってる感じは、JOCV時代と何ら変わりがないやね

そういや、明らかに独り言が増えました。
よく「Nima? Nima?(何?何?)」とか、「Почму?(何で?)」とか呟いてます。
きっとご近所のデスクな方々にはご迷惑なことでしょう…すみません

さて、帰国後。
仕事するまでが時間を自由に使えるチャンス!ということで、
時間をめいっぱい使って、いろんなとこに行ってきました。
今日は2月に行ってきた宮古島の話。
なんかね、宮古島とウズベキスタンはよく似てる。
その1:時間の流れがよく似てる。
先の予定が立たないところ、
当日の勢いで事が進むのが普通なところ、そっくり。
その2:よく飲むところがよく似てる。
宮古島は泡盛、ウズはウォッカ。
知らないもの同士でも、一緒に楽しく飲めちゃう。
その3:よく踊るところがよく似てる。
宮古島はカチャーシー、ウズはウズダンス。
音楽がかかれば、自然に踊りだしちゃう感じと、
手の使い方がほんとによく似てる。
その4:宮古島の池間の人とウズ人はよく似てる。
留学中のウズ人が宮古島の人に間違えられておりました。
遠く離れたふたつの土地だけど、なんだか似てる


明らかに違うのは、この海ですね。